瀬戸口まつり(ACE)
アイドレスに参加して、いつか瀬戸口と同じ地面を踏めたらいいなとぼんやり思っていた娘がいた。名をつきやままつりといった。
どこかのステージですれ違うとかそれくらいのことしか考えていなかったが、テンダイスにまったく姿を見せない瀬戸口を案じるうちに生死不明という状況を知り、慌てて自分に出来る手段をかき集めて瀬戸口を捜し始めた。
努力の甲斐あってなんとか生存情報だけは確保した、まではよかったが、本来の瀬戸口には結ばれるべくして結ばれた運命の恋人がいる。つきやまは自分がそれを押しのけてまでどうというつもりはなかったが、小笠原で会った芝村舞の一言から勇気を奮って瀬戸口に会いに行くことにした。
恋人と結ばれなかった人を−−と指定すると宰相は「いいとも」と言ってたくさんの世界に存在する瀬戸口のうちから一人を小笠原へ召喚した。現れたのは一見軽いふるまいのようだがその実堅く心を閉ざし、ただひとり溺愛する少女しか信じられない男。
なんとか平静に、普通に近づきになろう、と考えていた娘の思惑はあっさりその恋心とともに看破され一蹴された。
その次もけんもほろろにあしらわれ、それでもなんとか普通に言葉をかわせるくらいの顔見知りになり、ピクニックのつもりで呼び出したらデートに化け。
スパイと疑われたが実は陰から命を助けられており、姿を隠したはずの相手はすぐ近くにいて−−。
やっと尻尾ならぬ服の袖を掴まえて。娘の唯一の武器は嘘をつかないこと。
それでようやく青年の足を停めさせることに成功したけれど、こちらの言葉が届くようになったときには、娘にもすっかり相手の心が見えなくなってしまっていた。
思いの外ひどいやつに見られていたことを知った青年との会話がこじれたり、それでもいつのまにか命がけで守られるほどに大切に想われていたことがわかったり、なのに『家柄』が違うと拒まれたり。
今から思い返せば笑い話のようだ、と娘は思う。あのときは毎回必死だったのだけど。
でも今では笑ってもいい。
だってずっと想っていた人は今目の前にいて、笑って抱き締めてくれるから。
娘の名は今はつきやまとは言わない。瀬戸口まつり。すったもんだの挙げ句にようやく結ばれた相手−−瀬戸口(高之)にべたぼれなのはほぼ周知で、普段はてきぱき業務をこなしている彼女だが休日に高之と過ごすときにはまるでぼんやり系で間抜けたところさえ見せる、とは仲間内でこっそり噂になっている。
SS 新居にて
「やれやれ」と言いながら高之は軽く息をついた。
つい先日移ったばかりの新居に、二人で帰宅したところである。
帰宅途中で買い物をしてきたその荷物をどさどさとカウンターの上におろし、肩を回した。珍しく二人そろって早く仕事を上がれたので買い物をして帰ろうとしたら、あの調味料もなかった、そういえばこれも、とやたらに荷物が増えてしまった。引っ越したばかりであれこれ足りない時期である。
家の中は薄暗く、ののみの気配はない。新しい友達とまだ外で遊んでいるのだろう。
「しかし肩が凝るのが欠点だな、このユニフォームは」
「そうですねえ」どことなく上の空な返事を返しながら、冷蔵庫や野菜収納に納めるべきものを納めるまつり。
高之は横目でまつりの様子をうかがい、カウンターのベンチを引き出してそこに腰を下ろした。
「ほら」と声をかけて自分の膝を手のひらで叩く。
ぴょん、と耳と尻尾を立てる勢いで(実際には高之の前で犬妖精を着用していたことはほとんどないのだが)まつりは振り向いた。だだだと駆け寄ってきて。
抱きついた。
「まったく。全然治らないな」言葉よりはずっと甘い声で高之が笑う。
「だって…」首にしがみついて顔をすりよせる。犬だか猫だかわからないといつも笑われるところだが本人は全く気にしていない。そうしたいからしているだけなのだ。
「ま、いっか」
嬉しそうに笑うまつりに高之が顔を寄せて、唇を重ねようとしたとき−−
「ただいまぁ」
玄関の鍵が開く音がして、ののみの明るい声がした。
慌てて飛び離れる二人。正確にはまつりが高之の膝から立ち上がって一歩後ずさった。
「たかちゃん、まつりちゃん、ただいま!」
「お、お帰り」「お帰りなさい」
ののみはにこにこしながらキッチンに入ってきて、目を丸くした。えへーっと笑う。
「…らぶらぶ?」
う、とかお、とか言葉にならない音を出して固まる二人。
それから高之がごほんと咳払いをして、「帰ってきたらまずすることは?」
「手を洗ってくるね」
「そうだ」
「うん!」
キッチンを抜けて洗面所へ走っていくののみの背を見送り、お互い見遣った視線があって、二人は笑った。